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รายละเอียดคำ

伊号第十五潜水艦 (初代)

第六艦隊戦時日誌(昭和17年2月1日-28日)、「麾下艦船部隊ノ行動(第一潜水部隊)」。 ^ 第六艦隊機密第23号ノ50 第六艦隊戦時日誌(昭和17年3月1日-31日)、一.経過(一)一般情勢「(イ)敵KdBノ活動」。 ^ 第六艦隊機密第23号ノ50 第六艦隊戦時日誌(昭和17年3月1日-31日)、四.参考「(一)麾下艦船部隊ノ行動(第一潜水部隊)」。

คำที่เกี่ยวข้อง

伊号第五十五潜水艦

伊号第五十五潜水艦(いごうだいごじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊五十二型潜水艦(丙型改潜水艦)として完成した最後の艦。艦名としては二代目。 初代伊55については伊号第百五十五潜水艦、または伊百五十三型潜水艦を参照のこと。 1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル追計画)により呉

呂号第五十五潜水艦 (初代)

(心得)岡敬純 大尉:1921年6月1日 - 11月15日 (心得)岡敬純 大尉:1921年11月15日 - 12月1日 (心得)原龍朔 大尉:1921年12月1日 - 1922年5月15日 (心得)内藤淳 大尉:1922年5月15日 - 7月1日 (心得)平野六三 大尉:1922年7月1日

伊号第十五潜水艦 (2代)

b 進捗率は大阪警備府と近畿海軍監督部が昭和20年8月31日付で調製した各目録による。福井『写真 日本海軍全艦艇史』および世界の艦船『日本潜水艦史』では90%としている。 ^ 伊号第十三潜水艦の竣工時および本艦の艤装品目録に準じて記述する。 ^ 本来の艦名表記は伊號第十五潛水艦。 ^ a b

伊号第五潜水艦

気式の呉式1号2型射出機を1基装備した。このため、発艦時に艦を停止させることなく水上機の運用が可能になった。また、この時に水中信号装置を試験的にとりつけていたといわれる。 10月30日0930頃、呉港川原石埠頭S19番ブイにて停泊して出港準備中、貨物船第五筑紫丸と接触事故を起こし、右舷艦首外板が損傷する。

伊号第百五十五潜水艦

伊号第百五十五潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十三型潜水艦(海大III型a)の3番艦。竣工時の艦名は伊号第五十五潜水艦(初代)。 1924年(大正13年)4月1日 - 呉海軍工廠で起工。当初の艦名は第七十八潜水艦。 11月1日 - 伊号第五十五潜水艦に改名。

伊号第十潜水艦

東経68度00分 / 南緯3.000度 東経68.000度 / -3.000; 68.000のアデン湾南南東沖合で、アバダンからフリーマントルへ航行中のノルウェータンカーアルシデス(Alcides、7,634トン)を発見し、雷撃。魚雷2本が命中したアルシデスは沈没し、船

伊号第五十八潜水艦

伊号第五十八潜水艦(いごうだいごじゅうはちせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦で、巡潜乙型改2潜水艦である伊五十四型潜水艦の一隻。この名を持つ日本海軍の潜水艦としては2隻目。 1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル追計画)により横須賀海軍工廠で建造され、1942年12月26日起工、1

伊号第五十二潜水艦

練部隊の第六艦隊第11潜水戦隊に編入されて訓練に従事。 1944年(昭和19年)3月10日に第8潜水隊に編入。同日、「伊52潜」はフランスのロリアンへ向けて呉を出港。「伊52潜」は「モミ」(8月には「ギンマツ」に変更)という暗号名で呼ばれた。派遣目的は技術習得のためドイツに派遣される技術者の輸送およ

伊号第五十三潜水艦

伊号第五十三潜水艦(いごうだいごじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊五十二型潜水艦(丙型改潜水艦)の2番艦。艦名としては二代目。回天攻撃隊として活躍した。 初代伊53については伊号第百五十三潜水艦、または伊百五十三型潜水艦を参照のこと。 1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル

伊号第五十六潜水艦

両軍の時間的な照合では「サンティー」の僚艦である「ペトロフ・ベイ」に対しての攻撃であり魚雷命中はなかった、との可能性が指摘されている。この攻撃で魚雷残数が3本になったため、伊56は帰投命令を受けとる。翌26日、浮上中に昨日攻撃した機動部隊を護衛する米護衛駆逐艦「クールバーグ」の爆雷攻撃を受けたため、

伊号第二十五潜水艦

在泊を報告。0730に搭載機を揚収した後、14ノットで南に向かった。26日早朝、メルボルンを飛行偵察し、重巡1、軽巡5、輸送船19の在泊を報告。搭載機の迎撃のために戦闘機2機が発進したが見つかることはなく、対空砲火を受けることもなかった。 3月1日、ホバートを飛行偵察し、輸送船5の在泊

伊号第五十一潜水艦

伊号第五十一潜水艦(いごうだいごじゅういちせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。艦級は海大I型(海大型は海軍大型の意味)で同型艦はない。海大型系列の潜水艦で最初の艦。また日本潜水艦で初めて水上機を試験的に搭載し発着試験を行った。1940年に除籍、戦歴無し。

伊号第三十五潜水艦

便乗者を降ろした後出港し、横須賀に戻った。 3月27日、伊35は横須賀を出港し、4月1日に幌筵に到着。4トンの補給物資と弾薬、第51根拠地隊の一部を乗せて出港。同日、第六艦隊第1潜水戦隊第15潜水隊に編入。 8日にキスカに到着して輸送物資と便乗者

伊号第四十五潜水艦

第15潜水隊に編入、呉を出港。 4月5日 - マーシャル諸島方面で爆撃を受け損傷。呉海軍工廠で修理。 6月28日 - 横須賀を出港、テニアン島へ運貨筒を輸送する計画だったが失敗。 10月13日 - 呉を出港、フィリピン方面へ向かう。 10月25日 - フィリピン東方にて消息を絶つ。 10月28日 -

伊号第五十四潜水艦

伊号第五十四潜水艦(いごうだいごじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊五十四型潜水艦(乙型改2潜水艦)の1番艦。艦名としては二代目。 初代伊54については伊号第百五十四潜水艦、または伊百五十三型潜水艦を参照のこと。 1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル追計画)により、横須賀海

伊号第一潜水艦 (初代)

、大正12年度艦艇補充計画による建造に変更された。 1921年4月25日に第七十四潜水艦と命名され、等級一等・艦型名なしに定められる。 1922年2月10日、海軍大型七十四型の1番艦に定められる。6月3日、艦型名が大型七十四型に改正。 1923年3月12日、川崎造船所で起工。6月15日、艦型名が伊号型巡潜型に改正。

呂号第五十六潜水艦 (初代)

呂号第五十六潜水艦(ろごうだいごじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十三型潜水艦(L2型)の4番艦。竣工時の艦名は第三十潜水艦。 1920年(大正9年)7月10日、三菱神戸造船所で起工。1921年(大正10年)5月11日進水。1922年(大正11年)1月16日竣工。竣工時の艦名は第三十潜水艦、二等潜水艦に類別。

伊号第百六十五潜水艦

伊号第百六十五潜水艦(いごうだいひゃくろくじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十五型潜水艦(海大V型)の1番艦。竣工時の艦名は伊号第六十五潜水艦。 1929年(昭和4年)12月19日 - 呉海軍工廠で起工。 1931年(昭和6年)6月2日 - 進水 1932年(昭和7年)12月1日 -

伊号第百五十二潜水艦

伊号第百五十二潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうにせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。艦級は海大2型で同型艦はない。1925年に竣工。竣工時は伊号第五十二潜水艦(初代)という名称であったが1942年に改称され伊号第百五十二潜水艦と称した。実戦に投入されることなく老朽化のために1942年8月1日に除籍。